アニメ:あたしンち 第114話~第115話 感想

第114話 みかん、水着買うっ

高校生の夏といえば、白い砂浜・青い海・まだ見ぬ彼との憩いの時間。というわけで、みかんが人生で初めてスク水以外の水着を買った回でした。もちろん、水着シーンあります。最後まで見逃せね~ぜ~(ハラショー。

個人的でどうでもいい指摘かもしれないが、中盤のみかんと水着売り場の店員さんとの会話が面白かった。

店員さん「(中学生? それとも高校生? まさか小学生ではないわよね? え~い、こういう場合は上に言うべきか!)高校生かしら?」

みかん「はい、一応(すごいな~、私よく中学生に間違われるのに・・・)」

別に変な会話でも何でも無いが、現実の世界でも店員さんがなぜ子供に対して年上に見がちだったのかがわかり、なるほど・ザ・ワールド。アパレルショップの人たちってよく「大人びていますね~」とか言うけど、あれはただの客商売のテクニックだったのか。

店員さん「いや~、本当に中学生? 大人びてるね~。」

私「(え、ホントですか! なんかちょっと嬉しいな~)いやいや、それほどでも・・・」

店員さん「(なんでコイツ真に受けてるの?)この服とかいかがですか~(コイツカモダナ」

私「これは・・・、別に要らないですぅ~(あぁ~悪いことしちゃった~)」

店員さん「そうですか~(チックショ~」

なんか昔の罪悪感が消えてくぅ~!!

第115話 ユズ、考えるっ

色々と人のために行動をするが、たまに自己犠牲気味に陥ってしまうユズヒコの話でした。

給食の配膳の配分をきちんと守ったり、公衆電話の順番待ちを逐一考えたり、なかなかマメな男なんだね。

ところで、あたしンちの世界では一回目の給食の配膳で容器が全て空になっていましたが、現実の学校の給食って一回目の配膳じゃあ絶対無くなりませんよね。給食を食べていたときは気にしませんでしたが、なんで一回の配膳で配れないだけの量を作るor使用している容器のサイズ不足を是正しないのだろうか。

だって、一回の配膳で給食が空にならないということは、おかわりというシステムが出来てしまうわけじゃないですか。それすなわち、おかわり時に人目を気にするという悲惨な状況が生まれるということ。特に、不人気の給食だけど個人的にものすごい好きなもの(例えば小魚の佃煮とか)が出てきたときにそれが顕著。

自分が好きだけど他の人がそんなに好きじゃないということは、一見おかわりチャンスだと思いがちだが、すごく余っているからと言って3回もおかわりをしてしまうと、「あいつなんであんなにおかわりしてんの?」とか、「小魚野郎だ~」とか言われてしまう(全て被害妄想)。そして、結果的に小魚の佃煮は結構余っているという非常にもったいない状況にがっくりする毎日に明け暮れるわけですよ(小魚の佃煮が出てくるのは月に2~3回だから正確には2週間に一回(スクナッ)。

「世直しをしたい! 小魚をたくさん救いたい!」

今思うと、”シュトゥルム・ウント・ドラング”とはこういうことなんですね。

しかし、小魚の佃煮が好きだったらいくらでもおかわりをすれば良いものをそれをしなかったということは、結局自分の対面を保つことに必死で小魚のことを思っているなんてただのポーズに過ぎなかった・・・のかもしれない。反省、反省。

つまり何が言いたいかというと、給食を余すこと無く均等に配ることによって、おかわりをしなくても良い状況を作り出し、最大公約数を達成するユズヒコのそこにシビれる!あこがれるゥ!。

ユズヒコは現代のチェ・ゲバラだと思う。

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